森を考える ~ソロー通信~ 第8号

[今月森人]廣野 匠さん ひろのたくみ 35歳(茨城県石岡市)

「師匠の豊さんは僕の全て。豊さんの作った山はいつ行っても鳥肌が立ちます。あの山とどうやって向き合っていこうかなというのも一つのテーマですね」

  • 植え付けの前に鍬を入れツルの根を切る作業を行う。手間がかかるが山の手入れから学ぶことは多く大切な時間だという。
  • 他には流通していない特殊な材や8間もある長い材が揃うのが上林の強み。豊さん(右)から木の挽き方の指導を受ける廣野さん。
  • 廣野さんが企画した「木と子ども展」をきっかけに意気投合し、入社した須知大さん(50歳)。木工作家として活動していたが、ものからことを作ることの面白さに目覚め、現在は上林での作業がメインになったそう。
  • 師匠の豊さんからチェーンソーによる伐木の指導を受ける廣野さん。
「手刻みの家に住む」をコンセプトに、木を育て、伐り、運び、製材し、設計・施工まで手掛ける上林(かんばやし)製材所。
ある出会いに導かれるように、潮来市から移住し、師匠の背中をひたむきに追いかけながら日々山と向き合い続けて9年目の若き林業家廣野匠さんを訪ねました。

――入社のきっかけについて教えてください。

「東京農業大学で林学を勉強し、卒業後は佐渡島の森林組合に就職しました。2年間働いた後、実家の潮来市に戻ることになり、そこで松伐りなどのバイトをしながら生活していた時に、偶然『もくたろ』という板倉の家(※)を紹介する雑誌に出会いました。そこに上林製材所のことが掲載してあり『こんな製材所が茨城にあるのか!ここだ!』とピンと来て、即電話し飛び込みました。
森林組合のように山の仕事だけだと、製材とか住宅とか、木がどのように使われていくのかの流れが見えないことに物足りなさを感じていました。
それが、木を育てて、伐って、使うところまで、昔ながらの形態で、正に絶滅危惧種といった感じで残っていたことに惹かれたんですよね。社長の誉一(たかいち)さん(62歳)が設計、現場の管理・請負、その父親の豊(とよ)さん(90歳)が製材と山専門というように親子二人三脚でやっていたところに、僕は豊さんに弟子入りした感じですね」

――今日の作業は?

「午前中は、もうすぐ建て方が始まる現場で基礎の上にシートを貼る作業をしていました。住宅が完成したら現場掃除も僕らがやります。そこまでするから自分が製材した板がどう使われたかなとか、もう少し節がない方が良かったかなとか細かな所まで見ることができるんですよね。午後からは、3年前に上林が引き受けた山の手入れをしました。ずっと人の手が入らず荒れ放題の山でした。
曲がりや腐りも酷く、普通なら捨ててしまうところを、我々は生えていた木をなんとか血肉にしていかなければということで、搬出し、頭を使って挽いて、使ってもらうことが重要だと思っています。苦しいことだけどやらなければいけないことだと思うんです」

――やはり山の仕事は手間がかかるし、大変ですね。でもとても丁寧に作業している。

「普通はここまではやらないのですが、山の手入れというのは学びに来ている感があるんです。ここで学んだことを工場に持ち帰って丸太一本一本と向き合う時の根拠にするというか、丸太を見る目だったり、挽く時の姿勢だったりというところに繋がっていくのかなと思って。でも、もちろん経営的なことも考えなくてはいけないので、山の手入ればかりに時間をかけすぎてもいけないし、だからといって効率性ばかりを考えてもいけない。なんとか折り合いをつけていかなければいけないですね」

――廣野さんにとって師匠の豊さんの存在とは?

「僕の全てなんですよね、師匠が。どうやったらその背中に追いつけるかと常に考えています。向こうに豊さんの作った65年の山があるんですが、いつ行っても鳥肌が立つんです。あの山とどうやって向き合っていこうかなというのも一つのテーマですね」

――師匠の豊さんは山一筋?

「製材メインの時代もあって、それこそバブルの頃は、夜中まで製材機を回してひたすら挽いて、家を建てるという時代を経験している人なんです。
ずっと山は好きだったようなんですが、製材所を維持していくことが優先になっていたようですね。
それが時代と共に市場材が台頭し、プレカットが出てきて、上林も経営的には衰退していったのですが、それと反比例して豊さんの気持ちが山に向かっていったのでしょう。空いた時間に今まで本当にやりたかったことに時間を使えるようになった。木を育てて、伐って、製材して、家を建てるというトータルな形で林業に携わるという、理想の形に近づいていったようです」

――今、自伐型林業が注目されるようになり、新規参入も増えていますが、ずっと昔から自伐型林業に目をつけていたのですね。

「実は自伐型は元々の林業の形であり、結局そこに戻るのではないでしょうか。一周回ってきたってことですよね、時代が。だから周回遅れのトップランナーの感覚をすごく持ってますね。上林製材所すごいって(笑)」

――廣野さんの目指すゴールとは?

「僕の全ては豊さんの背中ですから。でもバンバン木を伐って、運び出して、製材して、売れていくという豊さんのような時代を経験することはできない。だから、違うルートで同じゴールを目指すことしかないと思います。今の時代、僕の世代でしっかりチームを作って、気がついたら同じ所に来ることができたというのが理想でしょうね」

――そうすると今度は廣野さんを目指す若い人が出てくる?

「そうですね。チームに入れてくれっていう人が欲しいですよね。週に1、2回でもいいんです。難しいことは何もないから、もっと気軽にね。その空間にいることが嫌じゃない人はやれるし。そして自ずと流れが見えて来た時に、自分のやるべきことを自然に見つけ、各々が精一杯やるっていうのが理想の形だと思いますね」

――もっと自由な働き方でいいんですね?

「いわゆる一般的に言われている林業ではダメかもしれないけれど、上林なら可能。外で体を動かしている方が好きな人が来てくれるといいですね。代が変わってからチームを作るのもいいけれど、豊さんがいるうちにその空気感を知ってほしい。その違いは大きいと思うので」

※日本古来の神社や穀物倉庫を造ってきた木造建築技術を応用し、柱や梁などの構造の他に、床や壁や屋根に杉の厚板を用い、伝統的な継手、仕口で組まれた真壁構法の家。(日本板倉建築協会HPより)

[日本の森の明日を考えるための基礎知識]栃木編 連載第3回:現代林業において希少な広葉樹の施業を行う森林組合。

伐採した原木は約90cmに玉切りし、クローラーに乗せ、斜面を何度も往復しながら土場まで運搬する。
広葉樹施業は全て手作業で行われている。

地区内の約6割を広葉樹が占め、古くからしいたけの原木生産や薪炭生産が盛んな栃木県東部の芳賀地区。
ここでは他の地区にはない里山の広葉樹施業を取り入れた、森林・林業経営が行われています。
今回は、広葉樹施業の実態を知るために、芳賀地区森林組合を訪ねました。
野中典子(ライター)/千葉慶一(小社ソロー事業部)

  • 手入れのされた美しい広葉樹林について話す芳賀地区森林組合事業課長富田和守さん。
  • 伐採作業をする増山裕太さん(27歳)は異業種から転職し3年目。自然相手の仕事にやりがいを感じると話す。樹齢22~23年のコナラはしいたけの原木として出荷される。

 芳賀地区森林組合は、栃木県内に11ある森林組合のひとつで、真岡市、益子町、茂木町、市貝町、芳賀町の1市4町を管理しています。組合員は平成30年3月末現在1,435名。
職員7名、作業員21名で平均年齢は約44歳。高齢化に悩む林業界にありながら、若い世代が生き生きと働く活気溢れる組織です。(※1)
 主な事業は、森林整備事業が全体の約6割から7割を占め、その他、しいたけの原木、木炭の販売事業、指導事業など、組合員の林業経営を支援し、林業の生産性向上をはかるとともに経済的、社会的地位の向上をはかる取り組みを行っています。
 また、栃木県内で唯一広葉樹施業を行う森林組合であり、販売及び林産事業の売上において広葉樹の占める割合(図1)は、H22~29年平均で約43%と高い割合を占めています。

※1 森林組合の雇用労働者の年齢階層別割合(林野庁「森林組合統計」)によると、60歳以上の割合が一番高く32%あるのに対し、栃木県森林組合の60歳以上の割合は18%(栃木県森林・林業統計書)

東日本大震災と原発の事故を乗り越えて広葉樹施業に取り組む栃木県唯一の組合。

 今回は事業課長であり、森林施業プランナーとして、森林経営計画の策定などを行う富田和守さん(43歳)に広葉樹施業の現場を案内していただきました。
「ここは約3年前にコナラの補植をした広葉樹施業の現場です。昔からコナラやクヌギなどの広葉樹が多く、それを生かしたしいたけの原木栽培や薪炭生産が盛んでした。落葉後には下草刈りをし、熊手で落ち葉をかき集め、葉タバコの堆肥として活用していました。そのため常に手入れの行き届いた美しい里山の風景が広がっていたのです」と富田さん。この地が地域固有の樹木を生かし、持続的に管理する風土が根づいていたことがうかがえます。さらに、「小規模の山主さんが多く、自分で管理したり、山守に頼む人も多かったので、組合への加入率は他地域に比べて低かったようです。しかし、今は山守もいなくなり、森林管理は森林組合が行うようになりました」。時代と共に広葉樹施業を担う存在として、森林組合の果たす役割が大きくなってきたのです。
 針葉樹施業と広葉樹施業の違いはあるのでしょうか?
「しいたけ原木の場合、皮が剥けると雑菌が入りやすくなるため、プロセッサーやグラップルなどの高性能林業機械が使えません。伐採から運搬まで全て手作業で行うので、非常に手間がかかります」。現代林業において、高性能林業機械を一切使わず、伐木から搬出までを行っているのは驚きです。幅約1mの小型クローラー(運搬車)が約90cmにカットした原木を載せ、山を下りていく。大型重機を通すための作業道がいらないため、地山をほとんど削ることがない。獣道程度の足跡しか残さないので、下草のない冬の景観は特に美しい。しかし、平成23年3月に発生した東日本大震災及びその後の福島第一原子力発電所事故に伴う放射能汚染により、原木しいたけは出荷制限がかかり、その影響は甚大だったと話します。
「震災前は、他の森林組合も広葉樹施業を行っていましたが、震災後は撤退しました。今では広葉樹施業を行っているのは当組合だけです」。震災後、どれくらいの期間、広葉樹施業を中断していたのかうかがうと「震災後も中断せず継続していました。放射能を洗浄するため、原木洗浄機を2台購入し、専属の人材も4~5名雇用しました。県の指導により県外産しいたけ原木の扱いが増えましたが、放射線量測定を強化し出荷するという作業を8年間続けてきました」。このように困難な状況にありながらも、しいたけ原木林の伐採更新を絶えず行い、地域の資源を守り、活用し、循環させていくことを諦めないことで、今後も美しい広葉樹林の里山が守られていくのではないでしょうか。

  • ソロー通信千葉・茨城・栃木版 第7号